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 北中城村商工会
〒901-2303
沖縄県北中城村字仲順432番地
TEL(098)935-3939
FAX(098)935-2978


◆大きな地図で見る◆


「北」「中」を図案化したもので、円は村の平和と協調、そして団結を現し、左右の北と中の文字は、村民の英知を結集して、未来に向かって飛躍、発展する姿を象徴したもの。

(昭和55年5月20日制定)


[位置] 

北中城村は、沖縄本島の中部地区に位置し、那覇から北東へ16km離れた地点にあり、東は中城湾に面し、南側は中城村、宜野湾市に、西側は北谷町、北側は沖縄市に面して、二市二町村にとなり合っている。地形は、一部東海岸平地部を除く、大部分が丘陵台地で、この台地を更に二つの稜線が東西に走り、それぞれの南北への緩斜を形成し、起伏が多くまとまった平地は少ない。地質はジャーガル、マージ、イーフなど多種多様な地質形態をなしている。
 

[地勢]
 本村は、かって、中城村の一部として永い歴史を歩んできたが第2次世界大戦の結果、占領軍の施設によって村が南北に分断され、行政の執行に大きな支障をきた したことから、昭和21年5月20日。北側に属した12行政区をもって新たな自治体「北中城村」として誕生したのである。「中城村」の地名は「おもろ」に もうたわれ、古くから由緒ふかく、とくに1440年代、ときの按司護佐丸によって築かれた中城城と自然の良湾としてしられた中城湾によって象徴され、ま た、第2尚氏王統時代「中城」は王世子の称号に用いられ、かつ世子領とした豊穣の地として広く世に知られたのである。統治の形態は時代とともに変化し、王 朝の按司時代から按司掟(アジウッチ)制、地頭代制、町村制を経て現在の地方自治制度へと変遷してきた。その間一貫して中城城内に役場(古くは番所)は置 かれ、昭和20年の沖縄戦当時まで中城村の行政が行われた。往時殖産振興に名をなした沖縄随一の産糖村で教育村・移民村としてもその名声を称えられた。


■村花 ラン
村花 ラン
■村花木
村花木 ブーゲンビリア
■村木 リュウキュウコクタン
村木 リュウキュウコクタン

                          

喜舎場の獅子舞い
獅子舞
 慶応年間から明治のはじめにかけて前普天間から伝わったといわれ、悪霊を払い、豊穣を祈り、村落の発展を祈願して、旧盆ウークイの日に字の公民館及び村落の聖地(トゥヌ)で演じられる。
 
熱田の南の島(フェーヌシマー)
フェーヌシマー
 この踊りは、15世紀読谷山間切座喜味城主であった護佐丸按司が長浜港を貿易港として南方諸国と取引していたところ、南方から伝わったということで南の島と呼んでいるとのことである。

                          
 
 
    
1720年代に屋敷を造成し、建物は尚敬王1700年代の中頃と推定され、豪農として
の風格を構えた建物は約472坪の屋敷に整然として、それぞれの位置を占めている。
(昭和47年5月15日 国指定重要文化財)
 
中城城跡
中城城跡
尚泰久王時代(1454~1460)に、護佐丸が築いた城とされているが、はっきりとした年
代は不明である。 東西に6つの郭が連なる連郭式の大きなグスクで、その石垣遺構の
見事さは県内最高のレベルとされている。(昭和47年5月15日 国指定史跡)
 
荻堂貝塚
明治37年鳥居龍蔵博士によって発見され、大正8年松村瞭によって発掘、縄文式土器
等が出土した。(昭和47年5月15日 国指定史跡)


                          
 
 
 
村の代表的な作物ランの栽培状況、品種はビューティークィーン。
 
 
                                   
   アーサ(ヒトエグサ)                   パッションフルーツ